2017年11月23日木曜日

かぐや姫の物語 - "The Tale of the Princess KAGUYA" as film.




かぐや姫の物語

姫の犯した罪と罰。


かぐや姫の物語」は、高畑勲(たかはた・いさお)監督による日本の長編アニメーション映画である。

2013年11月に劇場公開された。本編137分。

桃太郎や浦島太郎などと並ぶ日本の古典「竹取物語(またの名を、かぐや姫)」を、アニメーションスタジオのスタジオジブリが作り上げた。制作に8年、予算にして50億円(正確には51.5億円らしい)が投じられた。

この作品が劇場公開された2013年は、同じスタジオジブリ制作の宮崎駿(みやざき・はやお)監督によるアニメーション映画「風立ちぬ」(かぜたちぬ)が夏に公開された。本来は同時公開の予定だったが、この作品の制作が予定より遅れたために夏ではなく秋の11月に公開された。

竹取物語の映画化は、本作が初めてではない。1987年には市川崑監督、沢口靖子主演で実写化したものが公開されている。

そしてこの作品「かぐや姫の物語」も、日本のアニメーションスタジオとして圧倒的な知名度を誇るあのスタジオジブリが、あの高畑監督が、時間も予算も人材も、贅の限りを尽くして生み出した。

日本の古典なら、桃太郎も浦島太郎も、一寸法師も鶴の恩返しもある。それなのに竹取物語が選ばれるのは、綿密な市場調査のゆえか、あるいは一流のクリエーターたちを魅了する何かがあるのか。

この作品は、アニメーションの制作手順で一般的なアフレコ(アフターレコーディング:先に作られたアニメーション動画に、後から声の演技をのせる)ではなく、プレスコ(プレスコアリング:先に芝居の声の演技を済ませ、後からアニメーション動画をつくる)を採用している。しかも、輪郭や色のはっきりした描画ではなく、水墨画や絵巻を思わせる、毛筆でなぞったような柔らかな線の作画でつくられている。いずれも、この物語の世界観を表現するのにとても適したものだとは思うが、制作において想像を絶する手間がかかったことは想像に難くない。

あらすじは、竹取物語の原作にほぼ忠実な仕上がりだ。原作にない登場人物や創作的な演出が追加されるなど多少の変更は当然あるが、物語自体は奇をてらった変化球ではなく。まんが日本昔ばなしで竹取物語を丁寧に制作したらこんな感じになるかもとさえ思う。映画の冒頭も、「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり」という有名な一節がそのまま朗読されるところから始まる。

途中の急展開も結末も含めて話があらかじめ分かっているので、退屈にならないかやや不安になりながら見ていくが、映画にひきこまれ、2時間を越える尺があっという間に終わる。

中盤で展開される、名付けの儀(お祝い行事)のさなかにかぐや姫が激昂して身にまとった衣装を脱ぎ去り、建物を脱走して鬼の形相で野山を駆け巡り懐かしの山にとぼとぼ戻る場面や、終盤で幼なじみの青年・捨丸(すてまる)と束の間、大地や空の中を風になって巡る場面など、どうやって描いたんだろう? と、言葉を失いそうなほどすごい映像も時折ある。このあたりの演出や映像は、高畑勲監督のアニメーション映画でなければ、人材と予算と時間を湯水のように使った本作でなければ、実現不可能だったろう。

特筆すべきは、かぐや姫を演じた朝倉あきの演技だと個人的に思う。笑い声も怒りのさまも嘆くさまも素晴らしく、翁役の地井武男、媼(おうな)役の宮本信子ら、いずれ劣らぬ両名優とのやり取りさえ、見ていて非常に自然である。

高畑監督がこの映画を制作するにあたって掲げたキーワード、かぐや姫はいったい何故、何のために地上にやって来たのだろうかが、後半部分に意味を持ってくる。

最後、月からの迎えが訪れる場面では、妙に不思議な明るい音楽が流れる。これも含めてこの作品で音楽を担当したのは、音楽家の久石譲だ。全編を通じて相変わらず素晴らしいスコアを提供している。エンディングテーマ「いのちの記憶」は、二階堂和美が担当しているが、これも作品によく似合う素晴らしい曲だ。

血湧き肉踊る冒険活劇ではなく、日本人なら知らない人はいない有名古典が原作だ。しかも絵柄が非常に独特なので、絶賛する人も酷評する人もいると思う。

大ヒットは難しいかもしれないが、公開から何十年経過しても、根強い評価を受ける、そんな作品に化けそうな気がする。それこそ、高畑勲監督の「火垂るの墓」が、世界中に影響を今もなお与えているように。

(C) 2013 畑事務所・Studio Ghibli・NDHDMTK


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