2018年1月19日金曜日

Cocco (こっこ:歌手) - as a Singer.




Cocco

裸足の歌姫


Cocco(こっこ)は、日本人の女性歌手、絵本作家である。

1977年沖縄生まれ。祖父は沖縄芝居の第一人者で人間国宝の眞喜志康忠(まきし・こうちゅう)。幼い頃からクラシックバレエを習いながら、レッスン費は全て自分で稼いでいたという。開邦高校(かいほうこうこう:沖縄の四大進学校の一つ)芸術科を卒業後、バレリーナを目指して上京、しかし夢破れて挫折。舞台に客として来ていたビクターエンターテインメントの社員に音楽を勧められ、訪れた先のスタジオで即興で歌ったのが評価され、音楽業界に入る。

当初はCocko(こっこ)としてインディーズデビューし、Coccoの名でマキシシングル「カウントダウン」でメジャーデビュー。一貫して、女の情や怨念を凄まじく歌い上げる人だった。ある音楽評論家は第1弾アルバム「ブーゲンビリア」について「傑作なのは認めるが、彼女の普段の外見からは想像もできない壮絶な歌の世界に躊躇してしまう」と寄せている。同アルバムは他にも、レンタルショップの紹介POPで「“才能”“原石”の言葉がまさにピッタリ」と書かれていた。

歌手Coccoが世間に名を知られるきっかけになったのは、JAL(ジャル:日本航空株式会社)のテレビCMで使用された曲「強く儚い者たち」(セカンドアルバム「クムイウタ」所収)からといわれる。曲が発表されたのは1997年11月。つまり秋冬の季節だが、曲はどう聴いても夏の雰囲気である。軽快な旋律に乗せて港にやってきた男が女と出会い惹かれあう様を描きつつ、危険な愛を匂わせる表現も含む。歌にも登場する「癒し」が彼女自身の印象にもつながるらしく、初期は10代前後の女性が支持者の半数を占めたという。

私が知ったのは、上記のJALとは異なる、偶然見たテレビのCMだった。

痩身の長髪の女性が白色のワンピースを着て、屋内の広い部屋で、直立不動で歌っていた。“それは とても 晴れた日で”と歌う彼女を、キャメラが正面からゆうっくりととらえる。彼女の歌う様は、怒るわけでも赦(ゆる)すわけでもなく、ただただ抑えようのない感情の嵐が内面から溢れだし、それを「歌う」行為で外気に発散している感じだった。私は画面に釘付けだった。

当時の新作CDアルバム「クムイウタ」(沖縄弁で子守唄の意味)の収録曲「Raining」(レイニング)の映像だと後に知った。曲が発売されて間もない頃だから1998年だったと思う。

同じ頃、私は地元の本屋でアルバイトをしていた。本屋の一角にCDコーナーがあり、彼女のシングル曲「強く儚いものたち」がよく売れていた縁で彼女や彼女の作品を知ったが、ビジュアル系バンド全盛の当時で、「アーティスト名が"Cocco"という一般に馴染みがないアルファベット表記」「曲の題名が耽美な表現」ということもあり、個人の歌手でなく、グループのひとつだろうと勘違いしていた。ごく初期は、「こっこ」という読み方を知らず「シーオーシーシーオー」と呼んでいた。

美術大学が近い立地のためか、アルバイト先には、現役の美術大学の生徒が何人かいた。その内の一人は「ちょっと歌を歌えば、どんな下手なアイドルでも、何でもかんでもすぐにアーティストの肩書きが付く現代の音楽シーンの風潮が許せない。アーティストは、本来は芸術家の意味なのに」と時々語っていた。私がアーティストらしい現代歌手の具体例でCoccoを挙げると、反論できない模範解答を突きつけられたと感じたのか、だいぶ長いこと黙った挙げ句に「まあ、確かに、彼女は認める。コムロなんかと違って自分の芸術を持っている感じがするし、絵も描いているっていうしね」と苦笑いしながらしぶしぶ呟いていた。

彼女の詩は、女性の内部に潜む醜いくらいの激しい感情を描いたものが多いといわれる。そして他の曲も意味深長の歌詞だ。歌う内容はかなり重くてやり切れないのに伸びやかな旋律と澄んだ歌声は軽快で、その対称がとても印象的だというものが多い。

彼女の詩に、女性特有の、あるいは子供特有の、甘えに似た感情を感じることは少ない。他者の介入を拒む、未熟ながらもほぼ完成された、救いのない愛情の世界。詩にでてくる言葉や表現に、難解なものなど見当たらない。英詩も手がける彼女だが、それとて中学校レベルに留まっている。しかしそれらの言葉が彼女一流の配列を果たした時、他の追随を許さない独特の凄みが生まれる。

彼女の世界は、他人の真似できる次元ではない。似たものはすぐ作れたとしても、決定的に何かが違ってしまい、見るものの胸にはおそらく届かず、言葉も響かない。

「天と地ほどに揺れる、夜叉のような激しい感情。そして最後には全てを赦す、女神のような心。“赦す”行為の快感あるいは精神的浄化、それはある種の「死」にも共通している。曲が「死」を連想させるのはそのせいだ」──ある評論家の言葉だが、それとて彼女を形容する言葉としては完全ではないかもしれない。しかし確かに彼女のアルバムの曲順は、その評論をなぞるように構成されている。危険な単語が激しいリズムと旋律にのって飛び交い、徐々に穏やかになり、最後には崇高な愛の調べに昇華される。

アルバムの初めと終盤では曲調が違いすぎるので、一度聴いただけでは別の人のようだ。ただ、何度も聴くと、それぞれの曲の根底にあるのは同じ世界なのだと分かってくる。光と陰、長調と短調、喧騒と静けさ。朝と夜。対極するように見える様々な事象が、彼女の紡ぐ歌の時間の中では、音のはるか奥で、1つの情景につながっていく。

彼女のアルバムはどれも例外なくそうだが、穏やかな曲から激しい曲まで、とても趣向が豊富である。NHK教育テレビの「みんなのうた」に起用されるような童謡系の曲があれば、とても放送できないような危険な語句(腕を切る、目をつぶす、撃ち殺す、引き裂く、首を沈めたい、指を切り離す)が羅列する攻撃的な曲も多い。そしてそれとは逆のような、あっけらかんとしたMC(会話)もよく知られている。

沖縄出身の芸能人で、社会的な地位や知名度のでも金銭的な意味でも成功を収めた人は何人かいるが、沖縄における米軍基地の問題等を雑誌のインタビューで日常の世間話の延長で触れるのは彼女ぐらいだろう。通常のアイドルタレントなら事務所から箝口令が敷かれたり、あるいは発言を自粛するのが通常だろうに、社会問題に対する自分なりの見解をサラリと打ち明けるあたり、生粋の沖縄女性だなと思わせるところがある。

米軍基地について、一般のニュースで報じられがちな切り込み方に終始せず、現地の沖縄の人にとって、良い悪いという単純な問題で済まず、すでに生活の一部となっているという現実から逃げずに思いを語る彼女の言葉は、やたらとシュプレヒコールをあげる人たちよりも、沖縄で生まれ育った人間の活きた言葉として説得力がある。

2001年に一旦活動を中止した際にも、噂はたくさん飛び交った。

活動中止にあたり特別発行された雑誌SWITCHの増刊号(現在入手困難)で、彼女はインタヴューに対し「頭の中で浮かぶ曲の速さと実際に自分の曲として発表するタイミングとのバランスが完全に崩れてしまった」と語った。なんでもアルバム10枚分くらいの曲が頭の中で順番待ちをしているが、もう手に負えなくなってしまったらしい。

後日、テレビ番組で司会者に活動中止の理由を聞かれた彼女は「東京の生活にもだいぶ馴染んだし、訛りもだいぶとれたし、沖縄の海も汚れてきたからゴミも拾わないといけないし、テレビに映るの好きじゃないから」とたどたどしく答えていた。それを聞いて正直な話「そんなの理由になるかよ」と思ったのは私だけではなかったろう。彼女は素晴らしい才能を当時、自ら閉じ込めた。それは無責任だと少しばかり思っていた。

2001年4月18日、4枚目のアルバム「サングローズ」発表。

その2日後の歌番組ミュージックステーションで同アルバム収録曲「焼け野が原」を絶唱後、God bless you.と呟くとレヴェランス(バレエ式のお辞儀)を深々として、笑顔のまま、公の場から姿を消した。

その後ベストアルバムが発売されたり、雑誌で未婚の母だということが報じられたり、絵本の出版などをした。そして活動を再開して今に至る。

しかし、個人的には、活動中止前の作風が一番好きではあった。


歌い継がれていく歌。


売り上げは他の歌手ほどない。アルバム部門でオリコンの週間売上1位は何度かあるがチャートを賑わす類の歌手では決してない。

あのルックスにあの作風だ。万人ウケは決してせず、テレビでは放送できないようなもの、子供には聴かせられないような作品も多い。

その一方で作品群に手抜きを感じることは一切ない。仮に四半世紀、あるいは半世紀ほど経過したのち、今現在歌姫と呼ばれる他の女性歌手やあまたの韓流歌手群や彼女自体は忘れられても、彼女の歌の幾つかは歌い継がれていくだろうと思う。「強く儚いものたち」の歌詞に秘められた、一見童話の世界を切り取った害のなさそうなファンタジーと、その中に潜む複雑な情愛というダブル・ミーニングの格差は、その時代のリスナーをその都度驚かせ、甘く幼いだけの愛の歌ではなく、大人の鑑賞に堪えうるが油断のならない作品だと思わせるに違いない。

他にも、ファンの色目なしにみても、音楽や国語の教科書に掲載されても問題ない作品が、幾つもある(例:陽の照りながら雨の降る、もくまおう、しなやかな腕の祈り、などなど)。

音楽理論的な部分でいくと、クラシックバレエを嗜み、その分野の音楽に親しんだからか、彼女と椎名林檎の曲は、曲のコード進行や転調の在り方が近年のJ-POPの売れ筋にしては珍しく、クラシック音楽と同じ古典的なパターンを踏んでいるという(親しみやすさはあるが目新しさやひねった工夫がない、という意味だろうか?)。片方が九州、もう片方が沖縄。ともに西日本に生まれ、作風もキャラも似ていると言われた時期もあったが、生い立ち以外の部分でも妙な共通点があるものだなと思う。

立ち上がれないほど傷つき悲しんだ時に彼女の歌が、中島みゆきや竹内まりやとは違う種類の鋭さで胸の奥まで届いた人は、少なくないはずだ。

私以外にも。


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