2018年4月20日金曜日

ガラスの仮面(漫画) - "The Glass Mask" as comic book.




ガラスの仮面

千の仮面を持つ少女


ガラスの仮面は、美内(みうち)すずえによる漫画作品である。月刊少女雑誌・花とゆめに1975年から連載されている。白泉社(はくせんしゃ)より単行本、文庫などが刊行されている。今までにアニメーション化、舞台化、テレビドラマ化、ラジオドラマ化がされている。

横浜の小さなラーメン店に母親と二人で住み込みで働く中学生の少女、北島(きたじま)マヤ。学校の成績も悪く仕事も失敗を重ね、母の春(はる)からも叱咤されてばかり。芝居が何より好きで、映画でもテレビドラマでも、たった一度見ただけでセリフや動きを完全に暗記してしまうという特技を持つ(当の本人は特技という自覚が全くない)。

マヤはある日、往年の女優・月影千草(つきかげ・ちぐさ)に誘われて家出し、彼女の元で女優修業を始める。

一方、鬼才映画監督と美人女優の一人娘である姫川亜弓(ひめかわ・あゆみ)は、マヤと同い年で演劇を志す美貌の少女だった。「優れた芸術家の娘」という七光りからなんとか逃れようと、彼女は、ごく小さな頃から人知れず努力を重ねてきた。

そんな亜弓はある日、母の歌子が「紅天女(くれないてんにょ)」という芝居を話題にするのを耳にする。歌子の恩師・月影の代表作であり、歌子をはじめ数多ある大女優が演じたいと願っている幻の作品。「その芝居で主演を演じたなら世間は自分を認める」「“親の七光りのお嬢さん”というレッテルから逃れられる」、……亜弓は、紅天女を志すことになる。

月影がかつて愛した男・尾崎一蓮(おざき・いちれん)との想い出のある伝説の芝居「紅天女」、この漫画はそれを巡る話である。

話の途中で、月影自らが「マヤと亜弓のどちらかに紅天女の主役を譲る」と断言することにより、展開に更なる弾みがつく。そこに、上映権獲得を目論む大手芸能プロ「大都芸能」の若き鬼社長の速水真澄(はやみ・ますみ)とマヤの恋愛、速水と令嬢・鷹宮紫織(たかみや・しおり)との政略結婚、速水の義理の父・英介(えいすけ)と月影の因縁、その他もろもろの愛憎劇が縦に横に絡んでいく。

簡単にいうと演劇根性漫画である。紅天女の行方はどうなるか、主人公・マヤは速水との恋を成就させるか。それだけで長々と話は続き、2018年現在も話は完結していない。


マヤと亜弓


マヤは薄幸な生い立ちである。

父親を早くに亡くし、貧しい母子家庭で育ち、学力も良くなく器量も十人前(ということになっている)、話の途中で1度芸能活動の黄金期を迎えるが、その矢先には唯一の肉親である母親の春(はる)を失い、さらに策略にはまって一旦は芸能界を追放される。

春も、マヤに家出された後は結核にかかり職場を追われ、栄養失調から失明し、収容された地方のさびれた病院をわけあって脱走し、車にはねられ、娘に会いに行こうとするが志半ばで生き絶える。娘が主演する映画館の中で、勝ち気な探検少女を演じる娘の声を全身で聞きながら。

作り話だとしても、ここまで不幸な遍歴が続くのも凄い。

もう1人の主役・亜弓は、マヤとは対照的に見事なまでに華やかな人生を辿っている。

芸能界で成功している両親の家に生まれ、召使い、ばあや、大きな家、コリー犬、スタイル抜群(話の中盤以降はフランス人写真家のムッシュ・ハミルから被写体になってくれと何度か依頼をされている、誰もが認める美貌(両親ともに日本人のはずなのになぜか髪が金色)、華やかさ、成績優秀、料理、舞踊(日舞からバレエまで)、ピアノ(ラフマニノフとドビュッシーが好みらしい)と何でもござれ。

普通ここまで好条件が重なると性格はかなり悪いものだが(実際、初期はかなり偉そうで嫌なお嬢様として描かれている)、亜弓の場合、礼儀や思いやりの心を当たり前のように身に付けていて、誰に対しても気さくに挨拶するなど、性格もいいのである。一方で誰も知らない部分で地道な努力の積み重ねも怠らない。そしてただじっと立っているだけで威厳や華がある。周りの人が思わず見とれて息を飲むほど。

作り話の世界でも、ここまで完璧な人物は、滅多にいない。

マヤはそんな亜弓に「あなたは私のただ1人のライバルよ」と真顔で何度も断言される。そしてマヤはそれを聞くたびに「ありがとう」と笑って返す。おそらくは、亜弓の言葉を真に受けていないのだ。

話の中では「マヤ=演劇の天才」、「亜弓=全てにおいて壮絶な鍛練の積み重ねで地盤を築く努力の人」、という設定になっている。亜弓は普段は人知れず努力をしているため、圧倒的多数の人は彼女を「全てに恵まれた類いまれな人」「どうしてあんな人がこの世にいるんだろう。神様って不公平」と表現する。当の亜弓は、マヤの文字通り神がかった名演技を目の当たりにする度に「あの子は天才だわ…! それにひきかえあたしは…! ああ、惨め。これまで積み重ねた努力は、あんな才能の前にはまるで通用しない。神様は不公平だわ。あの子にだけ才能を与えて…!」と半分泣きべそをかきながら心の中で訴えたり、時には母親に愚痴をこぼしたりする。

頭の良さもあってか、亜弓は自らの限界とマヤの天才性を早い段階から見抜いている。そしてその天才性に自分の努力が勝つことを目標にするようになる。話の後半にもなると、当初あった「親の七光りのお嬢さんというレッテルから逃れられる」ためという動機が薄れ、マヤの天賦の才に勝つことそれだけが「紅天女」を望む理由になっていく。

マヤは自分が天才だという自覚は全くない。それが証拠に「君は姫川亜弓など気にかけないほどの天才なのか」と聞かれ「な、なんてイヤミな人なの!」と、顔を真っ赤にして怒る場面がある。

マヤは、ただ芝居が好きだからやっているという単純そのものの少女だ。家出をしたり役作りのために危険きわまりないことをしたり周りに迷惑をかけたりも常々だが、その代償のように、後々まで語り草にされるような素晴らしい演技を幾つも舞台で披露し、人々の記憶に残している。

どんな脇役を演じても(たとえ名前のない通りすがりの通行人であっても)主役を食うほどの名演技。陰で「舞台あらし」と呼ばれ恐れられる。一人芝居を演じる時など、存在しないはずの風景や他の役者が鮮明に見えるという錯覚を観客に起こさせる。「たった1人なのに凄い迫力」と客にいわせるほどである。しかし自分が優れた役者だという意識はかけらもない。そして自分のことをみそっかすのような娘と自虐し、簡単に落ち込む。だから自分を嫉む者が仕掛けた罠に簡単に引っ掛かりもする。

少女漫画を殆ど読まない私には、マヤも充分美少女に見える(背景には花が咲き乱れているし目はやたら大きいし黒髪はキラキラ光っているし)が、話の中では、マヤは平凡な子だ。演劇の天才ということを除いて。

サラブレッドの異名を持つ亜弓の境遇や才能を憧れながらも、実際に彼女と話す際には対等にタメグチを叩いたり喧嘩をできる仲だったりと、あれっ? と思うところもあるが、そんな会話の中でマヤの言葉に天才性を見せつけられて劣等感を感じる亜弓がライバル心を燃やす展開で毎回収まっている。強引な展開も散見し、けっこう笑える部分もある。


時代を感じる部分、アイデアを感じる部分


長い話なので、どうしても一部に古さを感じる。

ゴーゴーを踊るおばあちゃん、レコードをかける場面、「赤いシリーズ」(1970年代に人気を博したテレビドラマシリーズ)の長いセリフをマヤが暗誦する場面、黒電話、スケバン(1980年代初頭に登場した、不良少女の番長の俗称)、デビューして間もない頃の田原俊彦が人気アイドルとして芝居の中の会話に登場、ヴィーナスの「キッスは目にして」をBGMにイエーイと言いながら踊る少女、清水健太郎の「失恋レストラン」を口ずさむ審査風景、ファーストフード店で「フライドポテトの小(しょう)ください」と注文をする亜弓。初期と後半では、時代や世相や登場人物の服装が明らかに違うので、今の小学生が読んだら、単語そのものを知らないのではないかと思うものもけっこうある。そういう部分をあら探ししながら読むのも、邪道で面白いかもしれない。

単行本でいうと1巻や2巻のあたりは、まさに昭和な感じが溢れている。現代なら倫理基準にひっかかるような表現がいくつか見受けられる。例えば、芝居「村一番の花嫁」でマヤが演じるビビの設定も、今なら立派な差別にあたるので、こんな劇を催したら問題になるだろう。

一方で、マヤがセリフの応用を学ぶ芝居で「はい」「いいえ」「ありがとう」「すいません」だけで相手を会話をやり取りする場面で、途中参加した亜弓を相手に1時間以上も舞台をもたせるあたりは、マヤの天才性が舞台で光り輝き、それを共演者や客席が驚く、というこの漫画の特徴が早くも表れている。最後の最後にレコードをかける場面で、機転を効かせたマヤがパントマイムで「はい!」と応じる場面は、展開が実に素晴らしいので読み返すたびに感心する。


そして、結末は。


どういう結末を辿るか。それについては熱烈なファンが本にしているくらいだ。

ガラスの仮面は連載を1年くらいに考えていたのだが、人気が出すぎて急遽延長したという。作者の美内は「20世紀中に完結させる」と宣言したが果たされなかった。2018年現在、結末は決まっていない。紅天女の行方さえ決まっていない。

注目の一つ、「紅天女」は古代の日本を舞台にした、紅梅の精と仏師の恋物語である。

その上演を前提に、マヤと速水真澄の恋愛がどう折り合いをつけるか、マヤと亜弓のどちらが紅天女の座を射止めるかが終盤における読者の気になるところだ。最終話は、ラストのコマのセリフまで既に決まっているらしいが、作者以外の誰も知らない。

この漫画は、半端でなくデカい瞳に星の入った少女が大輪の花を背景に登場する典型的少女漫画だ。しかし物語展開やコマ割りが巧みで一気に読ませる。

私の経験でいうと、部屋の片づけをしようとした時に、昔、興味本位で買った文庫本の束を部屋の隅に発見し「捨てる前にちょっとだけ目を通そう」と思ったのが間違いで、結局ずっと読み続けてしまった、ということがある。寝る前に読もう、などというのは論外である。展開がわかりきっているのに、マヤの超絶技巧とでもいうような演技を読みたくてページをめくってしまう。これから初めて読むという方には、1日ほど自由な時間を取って24時間営業の漫画喫茶で全巻借りてきて一気に読むことを勧める。半端なところで読むのを中断すると、続きが気になってイライラするからだ。

さあ、生まれも育ちも薄幸、気の毒そのもののでありながら主役&天才というオイシイ部分は全部独り占めの北島マヤ。とその他大勢の登場人物。ラストはどうなることか。続きは漫画でどうぞ。


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